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シューマート発「スノトレ」誕生秘話

「スノトレ」とは

正式名称は「スノートレーニングシューズ」。雪が積もりやすい地域で愛用されているスノーシューズで、雪上で滑りにくく、しっかりと足首をホールドできるので長靴のように脱げてしまうということもない「実用性の高いカジュアルな靴」です。1977年の発売以来、子どもを中心に大ヒットし、機能性、デザイン性も向上。今では大人用のスノトレも販売されています。このスノトレの第一号を販売したのが、実はシューマートだというのはあまり知られていない話。考案者はシューマートの商品部長を務めていた黒岩監査役で、当時入社7年目を迎えた「おじいちゃん」こと岡宮正明さん(現取締役会長)は、その開発と爆発的ヒットに大きく携わりました。

スノトレ誕生秘話その1 「シューマートの誕生」

シューマートの設立は1971年。新時代に対応したシューズショップをめざし、問屋業を営んでいた岡宮さんの実家と、長野県内4社の小売業者と5社合併という形で誕生しました。
岡宮さんが入社したのは、設立前年の1970年のこと。実をいうと、大学時代は商売に興味がなく、家業の跡を継ぐのはためらいがあったことに加え、卒業後は別の就職口として北海道のユースホステルの勤務も決まっていたそうです。ところが、大学卒業を間近に迎えた頃、母親が逝去。父親の体調も優れないという状況下で、当時、実家で代表を務めていた従兄が岡宮さんのもとにひょっこりと現れ、5社合併計画を持ちかけたと言います。もともとユースホステルの博愛精神に憧れ、商売のようなかけひきを必要とする仕事は向いていないと思っていました。しかし従兄の話を聞くなかで、長野での商売の可能性を感じ、入社を決めました。また、当時は総合スーパーの大手が長野市に進出し始めた時代。「これから長野の商売はおもしろくなる。自分が変えていく」という思いがわき起こったそう。こうして、大学を卒業した岡宮さんは「株式会社シューマート」に入社したのです。

スノトレ誕生秘話その2 「超大型店の誕生」

1972年、シューマートは5店舗で小売部門の営業を開始。岡宮さんは長野駅前店の小さな店舗を担当しました。しかし「どうせやるなら、しっかりとした大きな売り場で、どこにもない靴店をつくりたい」との大志を抱き、そこからわずか100mほど離れた場所に100坪の土地を購入。当時、靴専門店の平均的な広さは20坪ほどだったそうで、岡宮さんがいかに巨大な店舗の開業を考えていたかがわかります。しかし、全国的にも珍しい大規模専門店をめざすも、全く小売業の知識がなかったことから、まずは東京、大阪、京都に出かけ、全国に名を馳せる靴専門店を徹底調査。陳列や店構え、値札、包装紙を観察するなかで、最終的に京都の「D靴店」に目をつけ、その内装を倣うべく、東京で本格的に活動する店舗デザイナーに設計を依頼しました。
さらに長野県内の有名店であった上田市のH靴店に直接乗り込み、タグ付けや包装の方法を習得。さらにはベレー帽姿の店員の制服を真似て、シューマートの女性店員の制服にもベレー帽にグリーンのワンピース、男性店員には黒のブレザーを採用しました。こうして、地方都市・長野に、ほかには類を見ない大型で都会的な店舗が完成したのです。

スノトレ誕生秘話その3 「初代スノトレの誕生」

小売業未経験ながら県下最大級となる100坪の店舗を手がけ、力を入れれば入れるほど売れ行きが伸び、目に見えて変化を感じていた岡宮さん。どんどんと小売業に楽しみを覚え、商売の世界にのめり込んでいきました。
着々と店舗数を増やしていた1976年、合併した5社のひとつ、大町市の靴屋出身だった商品部長の黒岩監査役から、ひとつの商品提案があがります。「冬でも履ける運動靴のような履物」です。大町市や隣接する白馬村は積雪量の多さで知られていますが、当時の冬の履物といえばゴム製の長靴のみ。しかし、同地の子どもたちの不便そうなようすを見た黒岩監査役は、運動靴のような動きやすさに加えて、温かさを持ち、雪が入りにくい丈の長さで、スキー靴に匹敵する機能性を備えた通学用ブーツの必要性を感じて考案に至ったのです。雪上でも滑らない波型加工のゴム板を靴底とし、厚みを出したビニール素材(かつてのpU合成皮革:ポリウレタン)をアッパー部分として使用し、前ファスナーをつけただけの簡単なつくりのものでしたが、ゴム素材で単純な立体成形の長靴と比べると、格段にフィット感があって軽く、ジャンプなどの運動がしやすいものでした。これが、のちのスノトレとなる子ども用冬用運動靴第1号でした。
このアイデアを、翌1977年、広島県府中市にある靴の製造メーカー、N社に依頼して製品化。そして販売を開始するために、チラシを作成すべく黒岩監査役が発案した商品名が、「冬に雪上でトレーニングができる靴」=「スノートレーニングシューズ」略称「スノトレ」でした。
発売当初は、カラーはネイビーとピンクの2色のみ。1480円ほどで販売されると、その直後からまたたく間に評判になり、追加生産が追いつかないほど爆発的ヒットを記録。これには、シューマートの社員もN社の社員も、誰もが驚いたと言います。

スノトレ誕生秘話その4 「有名メーカー各社からスノトレ発売」

初代スノトレの大ヒットを受けて、製造メーカーは急増。日本の三大ゴムメーカーだった、アキレス、月星、アサヒ各社が子ども用スノトレの商品化に乗り出し、素材開発、技術開発が進みました。
そのなかでも、シューマートは、靴の資材メーカーとして最大手だったアキレスと組み、当時もっとも優秀な合成皮革素材のカブロンを取り入れて商品を進化させます。デザインも前ファスナーから、新登場したマジックテープへと変更し、アッパー部分のデザインも次第に複雑化させました。今では6~8面のパーツを組み立てることで、よりフィットする快適な靴が生み出されています。また、ゴアテックス素材等を採用することで、防水性、透湿性の高さを追求。温かさを増すために靴の内側(ライニング)も進化しました。初代スノトレは、まだ技術も素材もなく、ライニングは薄い生地を貼っただけでしたが、今ではウレタンフォームを挟んで、その上に生地を貼り、最低でも3~4層のつくりとなっています。また、靴底もゴム製から、ゴムと塩化ビニルを混合した軽い素材へと進化し、氷上でも滑りにくいスパイク付きのものも登場しました。
そして、アキレスや月星を中心に、昔の革製のスキーブーツをもとにした大人用のスノトレ開発も進行。スキーブーツのデザインを活かし、柔軟性や機動性を重視して、普段街なかで履けるようにしたものが大人用のスノトレです。

スノトレ誕生秘話その5 「各メーカーのアドバイザーとして」

こうして、シューマートが先駆けとなり、各社からさまざまな高性能のスノトレが発売されました。販売開始から約5年、1981年まではシューマートでもスノトレの開発を進めていましたが、その後は各メーカーに色やデザイン、素材のアドバイスをしながら、仕入れを専門に取り扱っています。
残念ながら、現在「スノトレ(SUNOTORE)」は大手スポーツメーカーが商標登録をしたため、名称自体は使用できませんが、今も各社からはスノトレと同じ機能を持つ靴が製造され、シューマートはアドバイザーとして開発に一役買っています。
スノトレ全盛期を経て、15年ほど前からは新しい冬用の靴として、「ビーンブーツ」タイプの靴が登場。今では、シューマートの店頭でもスノトレとともに数多く並んでいます。こうして靴の選択肢は広がり、シューマートは今なお雪国の子どもたちの足を支え続けています。

おじいちゃんも黒岩監査役も靴が大好きだったんだよ。店舗づくりもチラシづくりも楽しくて仕方なかった。ふたりで朝まで話し合うことも何度もあったね。お金の問題ではなく、目標を決めて取り組むことにやりがいを感じたし、やればやるだけ結果が出るのはうれしかったよ。
1981年の春には、長野市内に新規大型店舗「SBC通り店」をオープン。当時、ナイキやプーマ、アディダスといった有名ブランドのスニーカーはスポーツ専門店や直営店にしか並んでいなかったのだけど、これからの時代は靴の総合店でもこういったスポーツブランドを取り扱わなければいけないと踏んで、商社の展示会に交渉に行ったんだよ。最初は門前払いだったけど、粘り強く何度も通って、苦労の末にやっと交渉が成立。こうして、その頃は一般的な靴店では決して陳列されていなかったブランドスニーカーも並ぶようになったんだよね。
シューマートのターゲットは「New Family」。幼児から小学生の子どもを持つお父さん、お母さん、そして、そのおじいちゃん、おばあちゃんたちが安心して買える価格帯の品揃えを心がけているんだよ。これからも、時代のニーズを敏感に汲み取って、大衆的な商品から有名ブランド靴まで揃えることで、より良い総合靴店をめざしていきたいね。